神話と霊能者2008/02/17 00:37

 今日は久しぶりに原稿を書く。某学会の昨年12月のシンポジウム「文学の黄泉がえり」というテーマだったが、その見聞記を頼まれていて、今日書いた。といっても、ブログで書いておいた内容にちょっと手を加えたものである。どうせ、2カ月後に書くと忘れてしまうから、シンポジウムのすぐ後に感想をブログで書いておいた。最初から、見聞記を書くためのメモで、それが今日ようやく役に立ったというわけだ。

 ここんとこ笙野頼子の「金比羅」を読んでいる。二度目だが、やはり傑作だと思う。笙野頼子ほど、文体にこだわった作家はいないが、笙野頼子は、この小説でようやく文体から自由になれたのではないか、という気がする。

 4月に学会のシンポジウムで発表しなきゃいけない。また今年もである。去年はシンポジウムとか座談とかさんざんやったが、どうも今年も続く。今年は神話がテーマで、私のは、神話が人の心に対して持つ癒しの機能を霊能者の現場から考える、ということらしい。大変なテーマだ。

 何で私がこんなテーマでしゃべらなきゃいかんのかよくわからないが、まあ、確かに、シャーマンに興味があって、中国でもシャーマンの取材はしているし、授業でも「憑依の文化論」とかやってるし、しかたないなとは思う。ただ、霊能者の現場について語るのはさすがに出来ない。まだそれを語れるまでの取材も調査もやってない。

 そこで、思い浮かんだのが笙野頼子というわけだ。笙野頼子は、霊能者であることを装って小説を書いているところがある。この「金比羅」は、自分が金比羅の神で人間の身体を借りてこの世に登場したという設定であるから、この小説は明らかに神話が装われている。そして、この小説は、書き手にとって癒しになっている。

 というように詰めていくと、何とか与えられたテーマに近づいていくのではないか。 ただ、それをどういう論理で語るかはかなり困難である。それこそ全部理屈と言うことになる。が、小説家を手がかりにするのは悪くないアイデアだろう。小説を書く行為とシャーマンの憑依とを区別しない笙野頼子という作家は、一種の霊能者である。この霊能者が自分の癒しのために小説を書いたら神話になったというわけだ。

 この神話が癒しになっているのは、文体から自由になっているからだととりあえず言っておく。これは発表の大事なポイントで、後で忘れないために、ここに書いておく。書いたことすら忘れてしまったら、もう引退だろうな。

        黄泉帰るいや帰さない春二月

モーケン族2008/02/18 23:20

 昨日の夜9時からのNHKスペシャルは面白かった。ミャンマーの海の民、モーケン族の特集である。モーケン族については東洋文庫『黄色い葉の精霊』に出で来る少数民族である。モーケン族の起源神話はけっこう特異で論文にも使わせてもらっている。

 だからモーケン族については前から知っていたが、まさか映像で観られるとは思っていなかった。視力が9.0あるとか、潜りの名人とか、海の民の卓越した能力には感嘆させられたが、船の上で暮らす漂流民族であるのにミャンマー政府から陸への定住を要請されている現実に、少数民族の置かれている厳しさを実感しもした。

 海の民といっても、野生のイモや森での狩猟も行っているので、たぶん、文化としては、森の民の文化も持っている。船上で暮らし、時には森に入って水やタロイモや狩猟をするという文化である。

 が、現在では定住しつつあるという。例えば、海では近代的な潜水器具を使った漁や、底引き網漁船がやつてきて根こそぎ魚を獲ってしまう。中国へ輸出するということだ。だから、モーケン族の旧来の素潜り漁では太刀打ち出来ないし、資源は乱獲され、彼等の生活が成り立たなくなる、というわけだ。だから定住せざるを得なくなる。

 これは、インドネシアの森の民も同じで、森林伐採により、森での自給自足が 困難になり、政府の用意した定住村に移らざるを得なくなるのである。われわれ先進国の消費が、結局はこれらの事態を引き起こしているとも言える。そう考えると、何ともやりきれないが、この問題は単純な解決はないので、とりあえず出来ることから始めるとすれば、消えゆくモーケン族の文化を何らかの形で継承するか記憶にとどめるか記録する、ということだろう。

 同じ問題は私が調査している中国少数民族文化についても言えることである。

 今日は、午前は千客万来。家の塗装でペンキ屋の友人が来ているし、教え子の夫婦が、川越に雛人形を見に来たというので、幼子二人を連れて寄る。そこへ奥さんの友人が犬を連れて訪れ、いやはや我が家は大変な喧噪である。

 2歳の女の子は、チビが好きなのだが、家に入ったときちょっと吼えられたものだから恐くて側に寄れない。チビが近づくと泣き出す。ところがしばらく時間が経つと、次第ににチビに近づいていき、チビがおとなしいとわかると、撫で始め次第にエスカレートしてチビを羽交い締めするように抱き始めた。さすがにチビも逃げたがっているが、チビはこういう時に迷惑でも為されるがままになっている。不思議な性格の犬だ。かといって、喜んでしっぽを振るということがほとんどないのである。

 私は午後には雑務があるので、みんなを置いて学校にでかけた。夜は、E君と神保町の行きつけの中華料理の店で食事。店主が、7年寝かして置いた紹興酒の甕を開けた。壷の口は石膏で固めてあって、それをたたき割って中の紹興酒を飲むのである。何でも、花嫁に成るときにこのように紹興酒の甕を石膏で固め、7年経つと石膏を壊して飲む習慣があるそうである。飲んでみたがさすがにおいしかった。
   
         下萌になりたる頃や行き止まり

韓流時代劇2008/02/20 22:28

 授業もないのに私は毎日学校へ行っている。むしろ、授業のない今の方が忙しい。今日は、教授会。再試委員会。卒業年度の学生で試験に落ちて卒業単位不足になった学生の再試を認めるかどうかの委員会である。毎年この時期にある。けっこう再試対象者がいて頭が痛い。

 入学前教育のテストの結果が帰ってきたので、その結果に応じて入学予定者にトレーニングノートを今日発送する。送られた学生は驚くだろうが、この時代、そうは遊ばせてくれないのだ。

 今日は夜8時からBSフジで「朱蒙」をやる日だ。どうもこのところ朱蒙は憎きかたきである兄に服従ばかりしていて、すっきりしない展開が続く。『新現実』という雑誌で柄谷行人と大塚英志が対談していて、そこで柄谷が今韓国の時代劇ドラマにはまっていると言う。「朱蒙」を見ているらしい。私と同じだ。

 私の場合、「海神」も見るし、「太王四神記」も見ている。何も考えなくてもいいというのもあるが、どうしてこう韓流時代劇にはまるのか考えるのだが、とりたててこれだという理由が見つからない。が、あげるとすればアジア的ということだろうか。柄谷はエキゾチズムがあると言っているが、つまり、アジア的な親近感を感じさせる面白さが確かにある。

 それから韓国の歴史ものというジャンルがいままでにあまりなかったので、その珍しさもあるだろう。中国の歴史物は三国志などだいたいお馴染みだが、韓国のはほとんど知らないのである。それから、何と言っても、王国の起源物語という神話的な物語を時代劇として物語れるということである。日本では、王国の起源譚は、結局天皇の物語であって、それこそアマテラスか天孫降臨までいってしまう。ドラマになりにくい。

 NHKの大河ドラマを見れば分かるが、日本の時代劇は武士が台頭してきた中世以降で、狭い国土の中での武士同士の争いの物語である。何となく物語のスケールが小さい気がするのは、どんなに頑張っても王にはなれないからであろう。日本の時代劇において、天皇の存在は案外足かせになっているなという気がする。

 朱蒙は高句麗の祖で、神話的な物語性に彩られた人物である。しかも隣国の漢との対抗関係の中で王国を築くのだから、その成功譚には爽快感があろうし、韓国人にとってはナショナリズムをくすぐるだろう。そういったいろんな要素が韓流時代劇にはあって、面白いというわけだ。

 ただ、私が漢流ドラマを見ているお大きな理由は、今年は原稿の締め切りを抱えていない、ということに尽きる。忙しいのは学校の雑務だけで、むろん、いろいろと勉強しなければならないことは抱えているが、締め切りがないので気が楽である。今年一年この調子で続いて欲しい。

  二月の日々あてどなく浮かぶ明日

逆つらら2008/02/22 23:49


今日は久しぶりに山小屋に来る。4週間ぶりである。こんなに間隔が開いたのは久しぶりだ。それだけ忙しかったのである。

 何日か前にかなり雪が降って、屋根にもまだ雪が積もっている。その屋根の雪が溶けて、雨だれのように屋根から落ちてくる。こういう山小屋では雨樋は作らない。屋根の雪が滑り落ちると雨樋はいっぺんに壊れてしまうからである。だから、溶け出した水は屋根のいたるところから落ちるのだが、ベランダの手すりの上に落ちた水は、凍ってつららが上に伸びるように次第に大きくなっていく。逆つららである。

 笙野頼子の「金比羅」を読み進めているのだが、とにかく不思議な小説である。どこまで真面目なのか、妄想なのか、遊びなのか、あるいは計算尽くなのか、よくわからなくなってくるのだが、ただそれでも、私は金比羅だと言って、古事記の神々や土地の神社の神を適当に解釈しなおしていくその記述のエネルギーは圧倒的で、その迫力は、作者は全力だなと思わせる。その全力さの根拠は、ただただ、作者の孤独やこの世への反発にあると思われる。

 生きることは抑圧を引き受けることで、その抑圧はこうやって跳ね返すのだ、というような勢いがある。その抑圧を跳ね返す方法というのが、自分は金比羅というカウンター神で、国家の神なんかとは違う、というその神としての誕生と、この世の人間に憑依して生きるその伝記を描くことなのである。つまり、それは、極私的神話を語ることである。

 神話であるということは、公的な言説であるはずだ。が、この小説は、極私的に神話を語るという方法で小説を書く。考えてみれば、このような神話を私的に語るという言説がある。それは、シャーマンが自己の成巫へのプロセスを語る成巫譚と呼ばれるものである。
 
 私的な神話とは言ってみれば個人の妄想の言説化である。が、それが語られることで共同的な言説になるとき、たぶん神話として、それこそ共同幻想として受容される。が、その私的な言説であることを失わないままで、共同的な言説となることは可能だろうか。

 たぶんあり得るはずである。新興宗教の教祖の成巫譚がそのままその教団の神話として語られるという例はあるだろう。が、それとは違うケース。笙野頼子の「金比羅」の主人公のように、徹底して他者との関係を作らない、共同方であることを拒絶するものの、成巫体験の記述は、あり得るのか。

 たぶんない。ないからこそ「金比羅」は実験的なのだ。「ケーッ」とわめいて共同的なものを拒否するこの神の自己語りは、徹底して孤独であることによって、実は、共同的なものに成り得る本質を持つのだ。本当は、神話は私的なところから生まれ、その私的なものを共同的なものに転換することで生まれるというものではなかったか。

 そう考えれば、「金比羅」は神話の生成の本来の様相を伝えているということでもある。
 
           寒明けの頃に独り神涙す

旦過の湯2008/02/26 23:10

 週末は山小屋だった。かなり雪が積もっていて、ついたときに家に入るのに苦労した。こういうときのために此の時期には車にはいつも長靴を積んでおく。それが役にたった。

 私は仕事の持ち込みだったが、楽しみは温泉にはいること。近くの温泉はだいたい入っているので、初めてのところへ行こうと、下諏訪に行くことにした。奥さんが旦過(たんが)の湯がいいらしいというので、そこへ行くことにした。下諏訪や上諏訪には温泉の共同浴場がいくつかあるが、旦過の湯はその下諏訪の共同浴場の一つである。

 諏訪下社の秋宮から歩いて5分のところで、小さな温泉でいかにも下町の共同浴場という雰囲気である。さっそく浴場へ入ったが、地元の人が4人ほど入っていて、身体を洗っている。浴槽には誰も入っていない。3、4人入れば一杯になる浴槽が二つあるだけである。さて入ろうと足を入れたらこれが熱かった。たぶんもう一つの方は大丈夫だろうと思ったがこっちも熱い。ただ隣ほどではないので我慢してはいったが1分つかるのがやっとである。

 さて、仕方なく、短く出たりはいったり繰り返して何とか熱さに慣れていった。誰も浴槽にはいっていない理由が分かった。途中管理しているおばさんが入ってきて、熱い方の浴槽に温度計を入れ、48度あるなと言って戻って行った。私の入っているほうもそれに近いくらいあるはずだ。熱いはずだ。

 たぶん、私が初めて来た観光客だろうと察したのか、しばらく熱い湯と格闘して脱衣場に上がってきた私に、そのおばさんは「熱い湯だったでしょう」と語りかけ、私も「いやあなかなか、たいした湯ですね」と答えたものの本音はなんて熱い湯なんだとあきれていた。「熱い湯だと知っていらしたんですか」とおばさんがまた言い、私は「ええ、まあ」と答えたが、そうかこの湯は熱くて有名なんだとその時分かった。勝手に水で埋めなくてよかった。

 鎌倉時代から僧が熱い湯に入りに来た、と見出しに書かれている新聞の記事の切り抜きが脱衣所に貼ってあった。もう少し学習してから来るべきだった。奥さんの方は熱いことは熱いがそれ程ではないという。どうやら私は熱い湯に弱いということも分かった。が、これだけ熱い湯に入った後は爽快感がある。旦過の湯はすごいというのを人に聞いて行ったのだが、何がすごいのかまでは聞かなかったけれど、その意味がようやくわかったというわけだ。

 山小屋のある別荘地は今鹿が集団で動いている。何度も鹿の群れと遭遇する。今、駆除と称して鉄砲を持った狩猟の人達が近くの山を歩き回っている。雪で食料がないのと、狩猟から逃れるために安全地帯である別荘地に居るのである。

 奈良の鹿と違って、厳しい環境に生きている鹿達だ。この雪だらけの山中で木の皮をかじって生きているのだと思うが、これだけの多くの鹿を食べさせている自然というのもたいしたものだといつも思う。

        残雪の森に生きものらは帰る

レモンハウス2008/02/28 21:59


 今日は久しぶりに家で仕事。平日はだいたい出校だから家での仕事は久しぶりである。まず、来年の講義のシラバスの未作成部分をウェブに書き込む。「基礎ゼミナール」と「教養講座」の分である。半期15回分の授業概要を書かなきゃならないので、けっこう大変である。大まかな授業概要だけでよかった昔が懐かしい。

 それから、高岡の万葉歴史館編『恋歌』の校正原稿を校正して送った。私の担当は「歌垣をめぐって」である。それから来年度の教科書を書き込んで書店に発送。これもそのままにしておいたものだ。教科書はいつも悩む。最近本の値段が高くなってきて、教科書を買わせるのが可哀相になるときがある。『シャーマニズムの文化学』は何人かで作ったテキストだが、3刷りまでいってるから、けっこう教科書で使っているようだ。私も今年度から使うことにした。ただ、この本、薄い割には2300円と高い。もう少し安いといいのだが。

 友人のペンキ屋が今うちの家を塗っているのだが、ほぼ全体を塗り終えて、塗り替えた家の様子が見え始めた。色はレモンイエローで、けっこう派手である。隣の奥さんがさっそく、レモンハウスと名付けた。

 私の家は三階建ての狭小住宅である。敷地が15坪しかない。それでも、75平米の広さの建物が立ち、小さな庭もある。斜面に建っているので、玄関は二階であるが、一階は地下ではない。だから、玄関から見るとコンパクトな家だが、反対側に回ると鉛筆のようなひょろ長い家である。

 まだ足場が残っていて全貌が見えないのだが、さすがにレモンイエローの家は周囲にはない。近所でけっこう話題になるかも知れない。が、明るいグレーを窓枠の色にしたので、全体としてそんなに目立つ色ではなくなった。玄関の前の車止めの低い壁に、奥さんが黄色と白でダイヤの形に塗り分けた。こういう遊びができるのも、知りあいに頼んでいるからこそである。

 今日友人一緒に来ていた手伝いの老人がお茶の時に語った話が面白かった。超能力の話題になり、自分の家系は超能力の家系だという。次男の能力が凄くて、物体など念力で軽く動かすし、スペースシャトルが墜落したときも10分前に予測していたと語った。

 神奈川にいる106歳の超能力の老僧の話になり、この老僧が凄いのだという。道を歩いていたら、突然犬が話しかけてきた。どうやらその犬は死んだ犬らしく、ある家の飼い犬で、死んで裏庭に埋められたのだが、それが辛いので表の玄関の方に埋めてくれないか、そうすればいいことがきっとある、と老僧に頼んだ。信じないといけないので、自分が生きていた時のエピソードをその犬は語ったそうである。

 それで老僧は飼い主の家に行き、犬を飼っていなかったか、その犬は生きていたときこういうエピソードがあったのではないか、実は、私はその犬から話しかけられたのだと、玄関に埋葬しなおすようにという話をした。最初は怪訝そうに聞いていたその家の人はだんだんと信じ始め、喜んで犬を埋葬しなおした。そしたら、その家には良いことが次から次へと起こったということである。

 その老僧今も人のために占いなどをしてあげているという。こういう世間話を聞くと、楽しくなる。

       老僧が犬と語らう春の辻