冬休み2007/12/25 22:59

 24日から山小屋に来ている。ただ、この二日間は某学会の機関誌の原稿書きである。さすがに寒い。薪ストーブの薪が足らないので、時々薪割りをしながら、原稿書きである。今日(25日)は一日曇りだったが、八ヶ岳はやけにくっきりみえて不思議な光景であった。

 原稿は直し直ししながら何とか書き終えて、今日、出版社へメールで直接送る。締め切りがだいぶ過ぎたので、学会誌の編集担当に送っても間に合わないだろうと、出版社へ送ったのだが、すぐに、出版社の方から、私の勤め先の学科長室に電話が入って、助手さんから私に至急出版社へ電話を入れるようにメールがきた。

 なんだろうと電話をすると、学会誌を出すというような連絡はまだ何も入っていないのですが、ということである。ええーっ、そんな馬鹿な。いつもなら初稿校正が出ている時期なのに、こんな調子だと今年度中に学会誌が出なくなる。どうなっているんだと、いろいろ聞いたら事情がわかってきた。まず、出版社側の昔からの担当者が退社したので、出版社の方で、もうそろそろ原稿を入れないとやばいのですが、と会誌の発行についてこちらに問い合わせをする人がいなかったのだ。

 それから、学会側の編集担当も慣れていなくて、細かなスケジュールがよく飲み込めていなかった。本当は、私がいろいろと教えなければならなかったのだが、つい忙しさに紛れて、しかも私自身原稿を書いていなかったので、何とかなるだろうとほうっておいたのがまずかった。しかも、まだ原稿を書いていない人が何人かいるので(私もそうだが)、編集担当は原稿が揃うまで、出版社に連絡しなかったらしい。

 メールや携帯でやりとりをした結果、何とか今日中には全体の原稿が出版社に渡ったようだ。よかったよかった。それにしても、こんな山の上でもあちこちと連絡が出来る最近の情報ツールはたいしたものだ。でも考えようによっては、こんな山の上でも仕事は追いかけてくるということである。

 原稿の内容は抒情のことばの言語主体についての考察である。かなり難しい。要点をかいつまんで言えば、抒情の言語主体は、言葉を伝える、表現するという行為に伴う負荷を免れている、という趣旨である。その負荷を負うのはことば自体である。これだけだと何のことかわからないだろう。私は当然わかっているのだが、私の論を読む人がどこまでわかってくれるか、それはわからない。こういう論を書きながら、もっと論理を鍛えなければといつも思う。まだまだ勉強が足りない。 

 仕事を終えてほっとしたので温泉にでも行こうと、夕方石遊(いしやす)の湯に行く。この温泉はとてもあたたまる。5時半頃行ったが、誰もいない。久しぶりに温泉を満喫して来た。

                  神さまが見かねてくれた冬休み

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://okanokabe.asablo.jp/blog/2007/12/25/2529799/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。