春日若宮おん祭り2007/12/18 01:05

 土曜(15日)の朝早くたって奈良へ向かう。某研究会の会合が奈良であったからだが、ついでに、奈良春日大社の若宮おん祭を見学するためである。いつもの飛鳥の古代研究所の研究会とは違って、こっちは、どちらかというと、気楽である。

 土曜は、大宿所祭。大宿所は春日若宮おん祭に奉仕する大和士(やまとさむらい)達の詰め所で、まず準備の祭として、前日にここで、大和士の潔斎の儀礼が行われる。鳥と魚が奉納されているのが圧巻であった。これを懸け鳥という。

 この大宿所祭で、巫女による御湯立てが行われた。これは思いがけない発見であった。私は巫女の湯立ては初めて観る。花祭りも霜月祭も湯立ては男がやるもので、巫女の湯立てが行われているのは知らなかった。しかも、この巫女さんは、湯立てを伝える七家の内の一家で、他の家は絶えてしまったので、この湯立てを伝えているのはこの巫女さんの家だけだという。

 柳田国男は「巫女考」で、もともと湯立てを専門にする巫女集団がいて、各地の神社で湯立てを行っていたが、やがて定住して、巫女の家筋として残っていったというようなことを書いている。この巫女さんはまさにその通りである。こ巫女さんはかつて湯立てを専門にしていた流れ歩いていた巫女の集団の名残であろう。巫女の湯立てを目の前で見て、私は、もうこれだけ見れば他をみなくてもいいと言うくらいに満足してしまった。

 日曜は大学院生の発表があったが、なかなか面白かった。ユダヤ教の食事の研究をしている大学院生がいて、これが実に面白い。ユダヤ教では、食事は、食べるもの、その調理法、食料となる動物の殺し方まで、かなり厳格な掟があって、日常の食事自体が儀礼そのものになっているのだという。この不便さは、実は、ユダヤ人を他の民族から区別し、聖なる民族とするための方法でもあったという。日本では、祭の神役に選ばれた人が物忌みの期間、食事や日常の行為そのものに厳格な掟を課す場合がある。ユダヤ教は、それを民族のレベルでみんなでやっているというわけである。大変な宗教である。

 17日午前零時は、若宮の神が、若宮から行宮へとお渡りの儀礼(遷幸祭)である。深夜真っ暗ななか、全ての灯りを消すように見物人に申し伝えられる。その真っ暗な参道を、二本の松明を先頭に、若宮を運ぶ一団がオーオーという声をだしながら過ぎていく。神の登場を これほど神秘的に演出する祭は初めて見た。なかなかすごかった。

 行宮に渡って、神楽が始まったが、沢山の人で見る事ができず、夜中の二時に宿屋に帰った。次の日の朝(月曜)、宿を出て、東京に向かう。学校へは1時ころ到着。授業の準備をして、5限の授業に臨む。夜は、専任に決まったEくんの祝いをかねて忘年会。次の日は、朝から会議なので、私は神保町のホテルへ。ふうーっ。

       暗闇で神も息つく年の暮れ