ケータイ小説2007/11/09 17:03

昨日からやや風邪気味。といっても疲れて熱が出た程度で、その熱もたいしたことはない。論文を書き始めると睡眠不足でこういう状態になる。10月にもやはり熱を出した。ただ、だるいことはだるい。だが勤めを休んだり論文がかけないほどではない。そこが神の過酷な試練というやつで、無理はしないでいいから仕事だけはしろというサインである。神様は無茶なのである。

昨日は10月の中頃山小屋に来た連中が、収穫した山葡萄を発酵させてワインにしたというので勤めの帰りによって試飲した。これがなかなかうまかった。上等のワインの味がした。ペットボトルに入れて家に持ち帰って、おいうまいぞと言って奥さんに飲ましたら、何これまずい!という反応。どうしたのだろうと色を見たら色が変わっているし、味も酸っぱくなっている。どうも、鞄に入れて揺らしながら持ってきたために、下に溜まっていた澱とが混ざってしまったのと、発酵が進みすぎたのが原因かも知れない。ワインというのはなかなか微妙で繊細なものである。

昨日、ケータイ小説「恋空」を読了。学生とケータイ小説について語り合う必要上、読んでみた。長かった。上下巻で合わせて六百ページある。が、行き帰りの通勤で二日間で読み終えた。95%が会話。残りはモノローグによる地の文。要するに会話だけで物語が進行していくのである。それも、ほとんどが少女漫画の会話のようであり、あるいは女子高生のケータイでやりとりされるメールに似た会話(絵文字つき)が延々と続くのである。

お話は、女子高生から大学生にになっていく女の子の恋愛物語だが、純愛ものだが、肉体関係は日常的、レイプ、流産、失恋、三角関係とか、とにかくこれでもかというほどに主人公は傷ついてくのだが、不思議に、人格は変わらないし、非行にも走らないし、落ち込まない。このしたたかさというかあっけらかんさは、見習うべきものがある。

最初の恋人と別れ、易しいものわかりのいい恋人と付き合うが、最初の恋人が癌だということがわかる。最初の恋人のことが好きだということがわかり元の恋人のところに戻るが彼は死んでしまう、というおきまりの物語で、何で都合良く十七歳の男の子が癌になるんだと怒ってはいけない。この小説はとりあえず実話だと言っているのである。

こういう小説もありだなという気はした。面白いのは、この延々と続く会話には内面というものが見事にない。だから、人間というものが抱えている複雑さや不安といったものは見事に欠落している。が、それでも、読んでいくうちに登場人物たちに同一化していく気分になるのは、そこには、現在という時間しかないある切実な感覚が描かれているからだと思う。

時間のない文体というものを書くとしたらこう書けばいいのである。つまりケータイで交わされる他愛のない絵文字入りの会話をえんえんと書けばいいのである。そこには、悲しい程に今という時間しかないのである。そのふくらみのなさは、主人公達の刹那的な生き方を象徴している。つまり、恋愛をしているときは、彼等の世界は百%恋愛であって、それ以外にどんな世界も雑音もない。それは見事な程である。だから、切実なのだ。だから、レイプされても、ヤンキーのように「俺の女に手を出すな」などというセリフが出てきても、純愛なのである。

私が感心したのは、この恋愛しかないという病的なほどの切なさであって、それ以外にはなかった。同世代の女子高生が夢中になって読んだというのもよくわかる。推薦入試の面接で、ケータイ小説を読んでいるという受験生が最後は死んじゃうのでそこが嫌いだと語っていたが、みんなよく分かっている。現在でしかない文体と恋愛しかないこの世の世界、この切なさを共感しているのであろう。

さて、何とか四十枚の論は書き上げた。熱と引き替えであったが。ただ、今年はまたあと二本論を書かなきゃいけないのだが、勤め先の紀要論文に穴があいたので何か書いてくれないかと頼まれた。穴埋め原稿というのは以前にも書いたことがある。私は重宝がられるのだ。公に発表していない論がないわけではない。捜してみると答えておいた。また仕事が増えそうである。

        わが犬も背中を振るう初時雨

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