神の子…2007/02/12 00:35

 次の日に仕事が無いときには、夕食の後2時間ほどは仕事にならないのでテレビか借りてきたDVDを見て過ごす。

 だいたい疲れている時に見るから、深刻なものとかホラー系は見ない。サスペンスか他愛ないのを見る。去年は日本映画の観客動員が外国映画を抜いたそうだが。私のところでは、抜かれていない。日本の映画はあまり見ないからだ。

 どうしてかというと、やはり何処か情緒的に出来ていて、そういうのは疲れるから見ないのだ。和歌研究ではどうして情緒的なのかは興味あるところだけど、映画にそれは求めない。泣かせる映画が流行ると必ずヒロインを病気で死なせる映画が何本も出てくる。そういうのは好きではない。

 昔からSFが好きなので、SFはけっこう見ている。「2001年宇宙の旅」のような衝撃的な作品は最近はさすがにない。ちなみにエイリアンものは余り見ないが、かつて異類婚の物語に凝っていたころ、エイリアン映画がほとんど異類婚のパーターンを踏んでいるのに気付いておもしろがったことがある。

 「エイリアン4」では、人間がエイリアンの児を孕む。異類の児を孕むというテーマはどうやら普遍的であるようだ。神の子は人間の胎内から出現する。B級映画に「光る眼」というのがある。アメリカの田舎町にある夜光がそそぎ、その町の女性が確か子どもと年寄りを除いて全員妊娠するのだ。そして全員が子どもを出産する。その子ども達は時々眼が光り、超能力を発揮して次第に町を乗っ取っていく。

 彼等はエイリアンなのだが、ところが、ある子どもだけが、母親の愛情に心動かされ他の子ども達と対決し人間を救うという話である。

 今シリーズもので「4400」にはまっている。基本的にこういうSFは好きなのだ。謎の光によって、過去、アメリカのあちこちで4400人の人間が突然消えてしまう。そして、その4400人が現代に突然送り返される。みんな年をとっていない。みんな浦島太郎である。彼等は失踪している間の記憶がない。

 4400人は、国家の管理の下に社会生活を送るが、次第に不思議な能力を発揮し始め、社会に脅威となっていく。いったいなんのために彼等は戻って来たのか、という謎解きとともにドラマは展開していくのだか、やはり、ここでも失踪した間に妊娠した女性が子どもを産む。その子は、普通の人間ではない。

 今日は、佐藤和喜氏の論文をいくつか読んだ。佐藤氏は、和歌の物の表現(叙事)を、人の表現であり、心の表現は、神の表現だという。上句の叙事は人の側からの描写であり、下句の心情表現は、神に転位した神の側からの、激情を表現したものだという。この激情は、私の言う「ハイテンション」からヒントを得たとかつて佐藤氏は語っていた。

 和歌の「情」は、神の側に転位したときの神の思い(激情)だとする氏の論理は、突飛なようで大事なことを言っているのではないかという気がする。
  
     春浅き神の住処に腰掛けぬ