仕事は楽しく2007/02/01 00:20

 今日は出校して雑務。仕事はちゃんとあるからたいしたものだ。明日からは、成績を付けなきゃいけないので、家で仕事をすると言っておいて、帰る。まあ山小屋にでもこもってみんなの成績をつけよう。卒論の副査になっていて7・8本の卒論も読まなきゃいけない。

 短大生の卒論だが、中にはたいしたものもある。読むのはたいへんだけれど、面白い卒論に当たると楽しくなる。竹取物語を書いた卒論で、かぐや姫の犯したタブーというのは、もの思ひをしたからではないかという趣旨を述べているのを読んだ。そうかそれは思いつかなかった。不老不死の天上界では「もの思ひ」はタブーなのかも知れない。なぜなら、それは死に結びつくし、地上界での人間の反応であるからだ。

 今叙情について考えているので参考になった。学生の卒論からも学ぶことは多いのだ。叙情は神の側から見れば罪なのである。そう考えることも出来るのだ。が、ものを思わない神なんているだろうか。そう考えることも出来る。もの思う神とはどういうことなのか、それを考えるのも面白そうだ。

 これから2ヶ月、ヤマトタケルと万葉集について勉強しなきゃいけない。ヤマトタケル論の締め切りは3月末だが、3月後半には中国に行くので、中旬には仕上げないと。帰ってきたら、万葉や和歌についての発表があり、そして白族の歌垣についての原稿を4月始めに書かなきゃいけない。ちなみにこのようにスケジュールを公開するのは、自分にプレッシャーをかけるためです。

 私はまっとうな研究者でないので、こつこつと一つのことを研究し資料をたくさん抱えていて、その蓄積の上に研究したことを少しずつ論にしていくというプロセスは苦手である。私は興味を抱いた分野はみな専門だと思っている。おおまかだが、だいたいの目論見があって、資料を調べ、それを論理にしていくというプロセスを取る。目論見通りに資料が見つからないときにはやはりあせる。が、あるある大事典のように捏造するわけにはいかない。でも、苦しめば何とかなるものでそうやっていつも切りぬけてきた。

 資料やアイデアががないからといって、盗用したり捏造するのがよくわからない。明治の助教授はほとんど盗用だったというが、それなら書かなければいいのではないかと思う。私の知りあいの研究者には論文を書かない人はたくさんいる。それでも何とかやっている。

 仕事は楽しくが私の主義である。捏造や盗用などというのは楽しくない。そんなことをするなら仕事を変えた方がよい。それが楽しい人は論外だが。

      鬼やらふがこちら振り向き笑ひたり

      寒木瓜や隠れて子猫眠りいる

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