託宣がよかった2007/01/08 22:55


 疲れたが、何とか備中高梁から帰ってきました。高梁市は小さな街だった。でも、江戸時代は、この藩の藩主が老中も勤めるなど、中国地方では重要な地域だったようだ。山陰への通り道といいうこともあり、交通の要衝だったということらしい。でも、今はとてもひなびた町である。寅さんの映画の舞台になったと地元の人が自慢していた。寅さんは昔の面影が残る寂れた田舎町に行くのが好きなのだ。昔の人情が残っているから。その意味では寅さんのロケ地にはぴったりだと思った。もっとも、高梁市に合併されて今は高梁市になっているが、近くの吹屋という町は、ベンガラ塗りで統一された昔の家並みが残っているので有名だが、映画「八つ墓村」のロケ地だと宣伝していた。こっちはおどろおどろしい。

 岡山から伯備線で30分ほど。駅は「備中高梁」。高梁市は人口2万の小さな町である。この駅前に高梁国際ホテルがあって、ここで、説話伝承学会の大会が行われた。50名ほどの参加者だったが、市長さんも挨拶に来て、なかなか盛況だった。

 6日の大会の発表は、渡部伸夫氏と廣田律子氏、それぞれ神楽と中国仮面劇の研究者。懇親会でお二人からご無沙汰してますと挨拶され、こちらはひょっとすると初対面かも知れないなどと思ってたので慌てた。まあ、会ったとしてもたぶん何処かの会でちょっと話を交わした程度なのは確かで、そういうことはすぐに忘れてしまう。いずれにしろ、今回はお二人と話が出来てとても良かった。もう忘れることはないはずだ。

 7日は朝から雪。嫌な予感がした。全国的に荒れ模様の天気である。雪の中を、二台のバスで出発。荒神神楽を行うのは、備中神楽を創始したと言われている18世紀の国学者西林国橋の生家である。この西林家で7年に一度の式年神楽が行われるというので、学会の方で見学をさせていただくことにしたのである。むろん、50人近いよそ者が行くのだから、学会の事務局と、地元の役所の人と、西林家や村の人たちと何度も打ち合わせをして入念に準備をしたということである。そうでなければ見ることは出来なかったろう。準備をしてくれた方に感謝である。

 村のそれまでの素朴な娯楽的神楽を、古代の神話の物語をベースに、神秘的な宗教儀礼と芸能とに総合したのが西林国橋で、それ以来中国地方に備中神楽として広がっていったという。われわれが見た神楽は、ほとんどが記紀神話の「天の岩戸」「国譲り」「八岐大蛇退治」などの場面を、くだけた歌舞伎風にアレンジした仮面劇であり、そのストーリーは記紀神話とは細部が微妙に違ったりしているのが面白い。齋藤英喜『読み替えられた日本神話』ではないが、ここでも神話が読み替えられていたというわけだ。

 ここの神楽は舞よりも当意即妙のアドリブなどを交えた会話劇の要素が強い。ある意味では、同じ舞を何度も繰り返す神楽とは違って、プロの神楽集団が、村人をいかに飽きさせないで長時間引きつけるか、ということにその技を使っていて、ほとんど漫才や漫談ののりで仮面劇を演じていた。時には、時事放談や演歌を歌ったりと、その芸は吉本興業と言ってもおかしくないほどだった。神楽を舞っていたのは、この地の神楽のプロ集団であるということだ。

 それでも神秘的な神楽の舞はちゃんと用意されていて、神の宿る頭上の「白蓋(びゃっけ)」を揺さぶる白蓋神事や、荒神(太縄で作った蛇)に身体を預けて神懸かりをし託宣をする、「託宣」など、荒神神楽が神との交流を失っていないと思わせる神事はさすがに迫力があり、感動さえした。写真は荒神の太縄に揺られて神懸かりをする大夫である。

 7日の昼から始まり、夜中の午前1時頃に神楽は終わった。かつては明け方までかかったという。雪は昼頃で止んだが、風はあり、さすがに夜は冷え込んだ。われわれは家の中で見学していたが、私はビデオカメラを部屋の端に据えたために障子一枚で外と隔てられた隅っこに坐っていた。いやあ寒かった。

 ホテルに帰ったのは一時半頃で、8日は、午前中、知りあい達と高梁市の資料館や美術館を駆け足でめぐり、私は昼の特急「やくも」で岡山へ。新幹線に乗り換え4時には東京に着いた。祭りの時に紅白の餅やお菓子を「福の種」と言って観客に撒く。それが半端ではない、みんな袋いっぱいにもらった。私も餅をけっこうもらったが、これが重くて、どうやって食べたらいいのか思案しているところだ。

 神楽はたくさん見てきたが、こんなに楽しいあっという間に時間の経つ神楽は初めてだ。さすがに、知識人の手が加わっている、きちんとした構成のある神楽だと感じた。私のよく通った南信州の霜月神楽は、同じ舞を何時間も舞う。やっているほうも見ている方も意識がもうろうとしてくる。それが神に近づくのでいいのだというものもいる。

 が、この荒神神楽には、招いた荒神を喜ばし、また村人を喜ばすエンターテインメント性と、神との交流を図る神事の部分とが、きちんとわけられ、それぞれが洗練されている。その意味では、歌や舞という身体の古代的なパフォーマンスに頼らずに、演劇的な構成によって古代性を再現しようとする“仕組み”を感じた。そこに、国学者の影があるように思えた。   

  正月や荒神降りて震えたり

  初雪や神の御影をつつむ朝

  神楽宿出番を終えて神火照る