誰がインターネットを俯瞰するのか2006/02/06 12:53

チビがだんだんとナナに似てきた。要するに、少しずつ甘えるようになってきた。ただ、ナナはやせ細った状態で拾われたので、チビよりも食べものにたいする執着が強く、人間が何かを食べているといつも側に寄ってきて大きな目をうるうるさせる。それに負けてつい食べものをあげてしまう。チビも少しそんな感じになってきたが、ナナと違って食べものにあまり執着がなく、こちらがあげないとすぐにあきらめて自分の世界に戻る。

 このクールさがチビの面白いところ。岩合光昭の写真集『日本の犬』(平凡社)にチビとそっくりの黒の柴犬が出ていた。それで思わず買ってしまった。黒い顔には左右対称の白の隈取りがある。しっぽは上に巻きあがって、裏側が足の下まで白い線のようになっている。この種類はこの模様がみな同じなのだ。だから、黒の柴犬にチビがまぎれこんだらどれがチビだかほんとに分からなくなると奥さんが心配していた。首の下の白い部分の面積が大きいとかやや小さいとか、それが個性のようなものなのだ。それくらいそっくりなのだ。何でも純血の柴犬は今天然記念物に指定されているらしい。そうかチビは天然記念物なのか。

 忙しい1月が過ぎて忙しい2月に入った。人から全力疾走で仕事しているね、うらやましい。こっちは仕事がなくて年収が減ったと言われる。そうかその分こっちに仕事が回ってきているのかと思わないこともない。われわれの業種も今は競争が激しく、しかも少子化で斜陽産業だ。人件費を削るという方針もあって、教員が辞めても後任をとってくれない。ということは、一人の仕事量が確実に増えるわけで、私が忙しいのは、別に私が頑張ってるからでも何でもなく、こういう時代を生きているからに過ぎない。

 ただ、何か自分にとって生産的な事をしないとだめな性分なので、それが自分を忙しくしている面はある。授業はなくなってしまったが、授業のテキスト用原稿を何とか書き終えた。原稿用紙で350枚分になってしまった。タイトルは「万葉集講義・なぜ歌うのか」にした。予算執行の関係で2月末には完成させないといけない。私のホームページの授業風景に載せていた文章をふくらませたものである。

 三浦佑之さんのホームページを覗いたら、最近の学生は、レポートにホームページから引用した文章を自分の文章にして平気で書いてくる。怪しい文章があったら、その出もとを検索する方法を知っているので教えます、と載っていた。確かに、突然学生から今こういう卒論書いているのだが、参考文献でいいのがあったら教えて欲しいとメールが来る。自分の教えている学生がメールするならわかるのだが、なぜ見ず知らずの学生に教えなくてはならないのか。授業料を払っている学校があって、そこに指導教官がいるだろう。その人に教わらなければ高い授業料は無駄になってしまうではないか。それに、知らない人に参考文献を教えてもらうまでには、いくつかの手続き(普通はそれを礼儀と言うが)が必要だろう。いきなり教えてくれはないだろう。だから、基本的には、答えないことにしているが、中には、ホームページで公開している文章を勝手に使う奴もいるだろうなあとは思う。私の文章だって、使われているかも知れない。まあ、公開している以上仕方がないとは思うが、インターネットというのは、こういう色々な問題を生んでいるのだと言うことがよくわかる。

 ある地方の新聞社から、少数民族の歌の祭りを取材したいのだが、どの少数民族が歌の祭りをやっていて、祭りの時期、村の名前を教えてくれと、これもメールでいきなり尋ねられた。おいおい、学生ならまだしも、立派な社会人がそんなにいきなりメールで自分の仕事を全部済ませてしまおうなんて、いくら何でもそれはないだろう。それくらいの情報は、刊行されている本を何冊か読めば分かることだし、そういう努力の後でどうしてもわからないというのなら分かるが。せめて、研究室に足を運んでもらって話を聞く位の努力をしてくれれば知っていることは教えるが、歌の祭りをしている少数民族の名前も自力で調べず、いきなり村の名前まで教えろはないだろう。愛知万博の文化欄の記事を担当していた読売新聞の記者は、ちゃんと研究室に来てくれたので、ビデオを見せ、いろいろ調査の仕事の話をした。それなりに礼を尽くせば応えるのは当たり前で、インターネットは、その「礼」という何か基本的な手続きの部分をほんとに省略し始めた。自分もひょっとすると誰かに省略しているかも知れないと反省はしているが、時々腹立つこともある。

   中国とアメリカの大手の検索会社、ヤフーかグーグルのどっちかだろうが、検索エンジンの設置で合意したとの報道が最近あった。ただ問題は、その検索は中国政府にとって都合の悪い情報はあらかじめ排除するシステムにすることが合意されているということだ。実は、日本の検索システムにもこのような検閲機能はすでについているらしい。

 インターネットの検索は、今や情報を集めるのに、欠かせないツールだが、実は、その検索の仕方はバイアスがかかっている。つまり、ある種の検閲が入り、客観性が担保されているわけではない。日本の検索エンジンも、日本でタブーしされているようなテーマについて検索をかけると、過激な内容のホームページは検索に引っかからないようになっているらしい。全部がそうではないが、各検索エンジンにばらつきがあっても多かれ少なかれそういった排除システムはあるのだという。

 膨大な情報の氾濫は、情報の整理を必然化するが、その過程で必ず何らかの恣意性が働く。当然、その恣意性は権力の意志として機能するのが普通だ。情報の独占は権力そのものだからである。ただ、やっかいなのは、そういった情報の独占化と、情報の合理的な整理とが区別しずらい形で行われることだ。検索エンジンの検閲システムはその良い例だろう。合理性というのは、誰かに全てを俯瞰する位置を与える。その位置がただ、ソフト開発者の特権的な位置であったうちはいいが、その位置が別な目的に支配されるとやっかいなことになる。

 BSでナチスの宣伝担当だったゲッペルスの特集をやっていたが、ゲッペルスが、国民を支配するのに当時普及し始めたラジオを用いたことはよく知られている。今、インターネットの世界は、情報を俯瞰する位置の奪い合いといった観を呈している。検索ソフトの開発のことだが、韓国では、すでに個人の名前を打ちこむとそのその情報が瞬時に分かるようなシステムになっていて、むろん、そういう個人情報をあらかじめ登録するシステムが存在するのだが、結婚や就職、その他様々な分野で使われているという。インターネットに氾濫する情報の俯瞰的な位置が無秩序であるうちは、つまり、優れたソフトを開発したものの権利であるうちはまだいいが、そこに、権力の欲望が入り込めば、息苦しい社会になる。一方でアナーキーなのがインターネットの特徴なのだとしても、注意は必要だろう。特に、メールで見知らぬ他人に平気で何でもものを頼む時代だ。相手が何を思うか気にしない感覚を培養するこのインターネットが悪意に使われないように祈るばかりだ。

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